生理周期と、精神不安定は、把握したほうがいい

子どもを持つ母親は、
自分の生理周期と、その中のどこで精神不安定になるかを、知っておくほうが良いだろう。




私は排卵後~生理開始までが精神不安定期である。


今回は、生理開始2日前あたりから、気分の落ち込みとイライラの自覚度がかなり高まったので、ロキソニンを飲んで対応した。

精神不安定に直接効果があるクスリではないが、ロキソニンを飲むと肉体の不快がほとんど消えるので、その分の余裕で、メンタルコントロールがしやすくなるのである。



来月は排卵後にイライラ度の変化を感じた時点で「命の母ホワイト」を服用してみようと思う。


「イライラを抑える努力」に費やさねばならないエネルギーを、クスリの力で出来る限り節約し、息子との時間に使いたいのだ。

家族1妻が、(彼女の口癖をそのまま使わせてもらうと)、まじやばい。そして、そこから何の学びを得るか。

愛が足りていない人の典型的な、
「もらうことに敏感だが与えられない人間」。
親切は、自分が愛を得たい時に代償として払うもの、という感覚。
つまり「◯◯をするから私を好きになってほしい」という気持ちで親切をするので、その親切自体が重い。
その親切に対して「ありがとう」と感謝したらその分、すがりつかれる感覚がある。
対等な大人どうしの「親切と感謝」が成立しない。

他人との距離感が、おかしい。
気を許したらどこまでも依存されそうである。家族2がその泥沼にハマっているが、
私は回避のために四苦八苦している。

家族1夫が、妻と私を仲良くさせようとしきりに色々、「一緒に◯◯をしろ」攻撃をしてくるので
強引なそれを防ぐために、家族1夫を「私の嫌いな人」として設定することにする。
えらそうに振る舞う人間は確かにあまり好きではないが現実に家族1夫をそこまで嫌いなわけでもないのだが、
距離感がおかしい妻の価値観を、Aの強引さで私に押し付けてくるので、
拒否を、相手が気付くように、匂わせることにしたのだ。

妻本人ではなく夫を対象にするのは、妻のメンタルが危ないからである。
自分の距離感がおかしいことを分かっていないので、私が「境界を超えた依存」を拒否しているだけで本人を嫌っているわけではないことも
本人は「嫌われたのではないか」という想像しかできないだろうし、その後の自暴自棄が子どもに向かうことが容易に想像できるのでそれは避けたいのである。

彼女自身がまだまだ幼児なのである。肉体的には2児の母親なのだが。
夫&家族2は彼女の依存を受けとめる能力はあるが成長を促す能力を持たない。ひたすら同化をするのみである。
どうしたものか困ったものだが、私の行う本能的な拒否により、愛は依存ではないことを体感で知っていくしかないだろう、今のところ。


(私の長男の愛着障害では、彼の自立を考えて「依存されすぎないよう対処した時期」を経て、今は「私が負担にならない範囲で出来る限り愛情を与える(私が与えたい愛ではなく彼が望む愛を与える)やり方」に変わったので、今回もそうなる可能性も、無くはない。
彼女の場合、私が個人的にそうしなければならない義務は特にないのだが、嗅覚というか本能というかそういう第六感で、愛をたくさん持っている人間を嗅ぎ分けて寄りかかっているのだろうと感じるし、
愛に余裕が有るなら与えるべきだろう、とも感じるからだ。)


家族1に対する不快感の正体もだんだん見えてきた。病的な依存と、高圧的な態度を同時に出しているので、
子どもに対する態度も含めて全体的に特権濫用のような感じ、があるのだ。



心理学的にいえば、「私が自分にそれを禁止しているから彼らのそれが不快」なのである。

特権を持つものがそれを濫用して我が物顔に振る舞っていたら地球は滅びるしかないのである。私からしたら、権力者の特権濫用はあり得ない態度なのである。
自分の禁止を解けば不快感が消えると分かっていても解きようがないことなのである。
唯一、道があるとすれば
濫用の方向を、私の思う「世界の幸せ」に向けて濫用すること、である。つまり私が思う理想の未来を、特権濫用しまくってやりまくるということなのである。

自分のカラを破るミッションが次々に起きていると感じるのである。

通貨は愛

金山のテレビをみたのである。

通貨が金、の時代もあるわけだが、
銀の時代もあったらしいのである。
そして今は、貨幣なのである。

通貨はその時々で変わるのである、
それならば、私のつくる未来は何が通貨なのかといったら、それはもちろん、愛が通貨なのである。





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愛に進もうとすると、やはりDNAの発現的なシンクロニシティーが起きて、エネルギーが充電されるのであった。金山の番組に感謝なのである。

さらに愛の情報を集める

もう一つ、回避方法を見つけたのである。


主人がテレワークで家にいる場合、
私がいつも息子とやっているような、
グチャグチャ・ドロドロ・ビショビショの子育ては、ほとんど出来なくなるのである。

それは私にとってとてもストレスなので、
やはり適度に、仕事で不在にしてくれたほうが、
好き放題に育児できるのである。

わが家が、例の家族のようにテレワークを活用していない事は、意外と私自身のためにもなっているのである。


こうして、愛の情報を集めていくのである。
「憎たらしい」「妬ましい」とひたすら誰かを恨み続けているよりこのほうがとてもラクなのである。


あと、明日はロキソニンを持っていこうと思ったのである。熱や痛み、だるさなど、物理的に何かをラクにするだけでも、
メンタルコントロールは、格段に、やりやすくなるのである。

私は、私の幸せを、もっとガンガン感じなければならない。

なぜ前記事を書いたのかというと、

先日、
オリンピックが無観客になった影響で、確保したホテルを社員に無料宿泊させるという通知が主人の会社から来たのだが、
わが家は空いている日と予定が合わず泊まれなかったのである。
しかし、例の虐待ネグレクト家族はしっかり宿泊するのである。

それがなぜか、とても憎たらしかったので、
なぜ自分がこのような気持ちになるのかを調べたのである。

調べてみて、さらに自分を振り返ったところ
私は彼らが、普段から、テレワークを上手く活用して日々を楽しんでいるのが羨ましいのである。
同じ会社だからわが家も条件は同じなのだが、主人が真面目なので、彼らほどは在宅を活用できていないのである。
今回も、平日ならホテルも空いてるけど平日にバカンスするのは嫌だなと、主人が言ったのである。私はとても残念で、テレワークや、こうした得点を余すこと無く恩恵にあずかっている彼らがいつも以上に憎たらしかったのである。(この感情は、おそらく生理前という事情もプラスされているだろう。)

しかし客観的にみれば、彼らのようにテレワークを活用するのが正解なのである。家庭にストレスが溜まることで、未来に良いことは何も起きないからである。

しかし私は主人の真面目さを、もっと彼らみたいに家庭に尽くしてよとは言いたくないのである。
主人は主人なりに十分、家庭に尽くしてくれていて、仕事は仕事で充実したいのも彼の希望なのである。つまり私は、私の求める「テレワークの最大活用」を、私の一存や努力でどうこうすることはできないのである。

しかし羨ましいのは事実なので、そういう場合どう対策すれば良いのか方法を探したのである。

結果、私は、「私がすでに持っている幸せを、もっと感じる必要がある」のであった。

よって、私は、
私が、外部の刺激に頼らなくても、自分の身ひとつで何の変哲もない日常をいかに幸せにできるかを、激しく自覚しようと試み、

「何の変哲もない」どころか「下手したら修羅場になるシーン」でさえも私は幸せに転換する能力があるのだということを、

私が持つ最大の幸福として、自ら書き出し、客観的に読むことで改めてこの幸せを目一杯感じてみたのである。

とても効果的であった。


また、実際私はこのようにして、コンディションが良い日も悪い日も同じパフォーマンスを維持できるよう工夫しているので、

「周りにあたるより自分の中で処理するほうがストレスが少ないが、自己処理することのストレスを抱えるのは避けたい」と思っている人の参考になれば嬉しいのである。

(個人的にはこのような工夫をしているが、
社会システムとしては、コンディションが悪い時は迷わず休めるシステムを作るべきである。)


こうしてストレス回避をしている今現在だが、せっかくの、息子のかわいい時期に、
今しかない、一分一秒が、とても貴重な、触れ合いの時期に、

かわいさと、幸せを、感じまくるべきなのに
ストレス回避でこの時間が過ぎてしまうのが本当にもったいないので、

次の生理前には、命の母ホワイトか、もしくはロキソニンで体をラクにして、
幸せを満喫できる状態に、自分を整えたいと、心から思うのである。

今日の、頭のなか

今日は午前中、体のダルさもあって
生理前のつらさが昨日より増していたのである。

「命の母ホワイト」の授乳中でも飲めるやつを探そう、とまで思い、検索したのだが良く分からず、

そのかわり「命の母ホワイト」が授乳中禁止なのは生薬のダイオウが母乳を通して赤ちゃんに下痢をおこすからである、と知ったので

下痢くらいならまあ飲んでも良さそうだな、でも明日のキャンプで息子が下痢すると本当の体調不良と見分けがつかないからキャンプでは飲めないな、
それにしてもPMS(月経前症候群)の最中にキャンプか、また倒れたりしないかな大丈夫かな、と不安になったり、
この不安もやはりPMSの作用なんだよなと思い直したりしていた。


まとわりつく息子とともに家事をやりながら
(体がしんどい期間は家事をほったらかそう、と思ったのだが、最近の私は
大変ながらも、ある程度家事をこなすほうが気分が良いようなので、
息子に負担がかからない程度に、やることにした。)

息子と絡まりながら、まったりダラダラ&グチャグチャした時間を過ごし
(私の子育ては、「子どもと絡まりながら、まったりダラダラ&グチャグチャ」が一番適切な表現である。我ながら、良い表現をしたものだ。)


私が食事をしようとした時点でグチャグチャ状態がピークになり、若干イライラしかけたのだが
よく考えれば、私がひと言「ママはご飯だから待っていなさい」と言って泣きわめく息子を待たせながら食事をすれば自分は平和に食べられるわけで、
しかしそんな状態で自分だけ平和に飯を食っても何も楽しくないので、やはり私はこうやってグチャグチャ息子と食べるほうが好きだし、安心するのだ、だから自分でこれを選んでいるのだ。と考えて納得しイライラを消す。

しかし、私はこれで良いとしても、息子がこの食事しか知らないのは、外で可哀想な思いをしてしまうので、
私の出来ない「待ってなさい」を息子に経験させてくれる夫に感謝である。


欲を言えば「待っていなさい」ではなく
「待っていてね」「待っていてくれる?」と対等にお願いする形が良いので、私がそれを出来そうな時にはやって見せていこうと思うのである。


その後、私のホルモンの影響でグズりがちな息子が眠気も重なってぐずぐずが強めになってきたのを、
「私のホルモンの影響ということは、私と同じくらいツラいのだ、もしかしたら母乳で私の分まで吸い取って、私の分までイライラしてくれているのかもしれない」と考えて息子を面倒くさく感じないようにする。


しばらくぐずっていたが、「やれやれ、ようやく眠りについた」と思ったところで
今日はずっと外出しているはずの主人が突然帰ってきて、音を立てたり息子にチューしたりして息子を起こして去っていったのである。

幸い、おっぱいを飲んでまたすぐに眠ってくれたのだが、「マジかよ危ないところだったぜ」と
大変冷や汗をかいたのである。

普段から、眠ったな~と思った瞬間にやってきて息子を起こすのが得意な主人なのだが
生理前にやられるとツラいのである。

しかし携帯をみると、だいぶ前に、「血圧のクスリを飲み忘れちゃった、どうしよう」というLINEが入っていたのである。

仕事の時間が迫るなかで、家に戻りクスリを飲む決断をするのは勇気がいっただろう、
もし私が車を運転できれば「持ってきて」と頼むこともできるのに私は運転ができないのである。
主人にしてみたら、
私からはLINEの返事も返ってこないし、日差しは暑くて、クスリを飲み忘れた不安もあってイライラすることこの上ないのである。
しかし、そんな中で、
わたしが育児に忙しくて返信できないことも優しさで飲みこみ、私が運転できない(運転に自信がないので免許を返納した)ことも仕方ないと飲みこみ、大の苦手な暑い日差しの中を、走って家まで戻る選択をしてくれたのである。
クスリを飲みに戻る選択をしたのも、幼い息子と私のことを考えて自分の健康を維持するためなのである。


そう考えると、主人には感謝しか湧かないのである。とても感動し、愛情たっぷりのLINEを返すことができ、幸せな気持ちで、午後の育児を楽しく乗り切れるのである。

「子どもに常識をおしえる」について。試行錯誤してみて、まとめ。

自由にしていいバージョンと、
ちゃんとしなきゃいけないバージョンを、
両方、知る機会をつくり、



家では自由でいいよ、
この場所では、ちゃんとするんだよ、
の経験を、なんども重ねていくことで、



だんだん、TPOが分かってくるのだと思う。


そして、この教育をするときに「怒る」必要はほとんどないだろう。
TPOが分かるまではトライ&エラーが続くけれど、
そのたびに「教える」「説明をする」で足りるはずである。




BCタイプの親が怒ってしまう場合は親のメンタルコントロールが必要だろう。ストレスが溜まっていないか自己チェックをしてその解消の努力をするのである。

ADタイプの親は、「子どもに何かを言うときは怒るものである」という、
習慣でなんとなくそうしている癖と、
誰かの完全コピーを、
「怒らずに教える型」に改める。