親子関係と公的な教育について

・親も、ABCDのどれかのタイプであって、
子どもも、ABCDのどれかのタイプであって、
この組み合わせは選べない。
(未来は分からないが、現時点では選べない。よって、選べない現時点でのことを書く。)



・組み合わせは選べないので、つまり親子関係で出来ることは限界がある。
性質上、分かること・分からないことと、
相手がやって欲しいこと・やって欲しくないことがうまくかみ合わないから。


・そのかみ合わない部分を地域とか公的にどれだけフォローできるかが大事だ。
色んなタイプがあることを理解した上で、どれだけその性質を伸ばしてあげられるか。
親子のタイプの組み合わせによっては家庭で抑圧されてしまうその子の性質を、地域や公的にどれだけフォローし伸ばしてあげられるか。※


・父の日母の日などの風習に関しては
親は親なりに、親のタイプの性質内で頑張っているのも確かなので、全く感謝をするなということでも無いが
何をされても「親には感謝すべきだ」というのはおかしい。
能力的に限界がある関係のなかで共に過ごした年月、それに対して もし子どもが感謝をしてくれるのなら、感謝してくれてありがとうの気持ちと、至らなかった数々のことへのごめんねの気持ちが、親の側にも、あってしかるべきだろう。

そもそもタイプ別の性質を、最適な組み合わせを選べずに家族構成される時点で、親子関係に不満や不和が生じるのは当然だから、
そこで当然生じる不和や不満、場合によっては立場を利用した強制、を子ども側がすべてのみこんで親に感謝する、のを常識化するのは変だ。


行事として大々的な取り組みが続くのであれば、
子どもにありがとうを言われたら親も、こちらこそありがとう。そして、あんな事やこんな事いろいろあったけどごめんねを互いに思い合う日、という感覚を浸透させたい。
実際に親子でそうできればベストだし実際にはできなくてもこうした新常識が浸透することで「親に感謝できない子どもが恩知らず」という一方的な断罪が無くなってほしい。






※いま、世界の仕組みがゆがんでいる中で、各タイプ本来の性質を、本来あるべき良い形(※)で伸ばす教育をしていくには、
世の中の状況に流されず本質を見通すセンス、が必要だと思うが
中邑さんや工藤さん、北欧の教育、モンテッソーリその他の根本的性質に着目した教育が、その方向に努力をしている教育といえるだろう。
(他にもあるかもしれない。そのあたりまだまだ勉強不足だ。北欧の教育についても、日本で耳にする北欧の情報では人間の根本的性質を意識した理想的なものが多いが北欧発信ならどれでも理想的というわけでもないのだろう。「北欧」で一括りにするのではなくそのあたりもっと知らなければならない、と思う。
あと、北欧といえば、確か北欧は性教育も良い流れがあったはずで、それも復習したい。日本にありがちな「恥」や「悪」の概念じゃなく、自然な形で「愛」と結びついている性教育だ。日本人女性が広める活動をしていたはず。)


(※)「本来あるべき良い形」とは、各タイプの性質が、それぞれ適材適所で協力しあい全体がうまく回る、そういう結果につながる形で性質が活かされること。
(この輪を意識せず現状の価値観に流されて教育すると、伸ばし方が片寄る。)