配信を観ていない人が読めば狂人の書いた妄想だが実際はとても大事な話①

前記事をうけて。
「王」という立場においてもこれは同じなのだ。

(「ハウルの動く城」にも「みんなのことを考えるのが王様」という台詞があるけれど)、
みんなのことを考えずにはいられず、それを考えるのが好きで、全体を把握したり上手く回すように考える事が得意で好きな人が適材適所として「王」をやり、そういう役割の人を「王」と呼ぶのである。



「本当は王だった」とか「実は創造主の娘だった」とかのストーリーがあるけれど
王とか創造主であることが、実際には何なのかと考えると
たとえば創造主なら始めに存在してこの世界を作った、のであって、
本当にそういう事実があったとしても作ったものと作られたものに価値の違いなど無いので(たとえば自分が子どもを作ったから子どもより自分の方が価値があるなどと思わないだろう)、
どちらも同じ宇宙に存在する物体として(4次元宇宙とか5次元宇宙とかの違いがあったとしても同じように宇宙空間に存在するものとして)価値は平等であり、

仮に自分が宇宙を持っている、親が作ったから相続でその宇宙を持っていると定義されるのならその宇宙は当然、そこに存在する全てで分け合うべきだし、
「王のためにその他が存在する」という独裁的世界ではなく、存在する全てが互いの能力で協力して皆が楽しく生きていく世界であるべきなのだ。

「創造主」だと想像しにくいかもしれないが「王」で考えるとさらに分かりやすく、始めは皆同じ原始人だったものの中から、やや暴力的な性質の者がのし上がってその周辺を支配したり、統率の上手いものが自然と全体に指示を出すようになったのがいつしか特別扱いになった(それは各タイプの性質・特徴により、自然のなりゆきで特別扱いになったのだ。別の記事で書く。)という現象に過ぎず、土地が王のものだとか金銀宝石や飲食物が王のものだとかいうのは特別扱いの勘違いからくる間違いであって、地球にあるものは「地球にあるもの」でしかなくそこに住む全員で分け合うべきものだろう。

螺旋状に、一定期間で何度もやってくる「本当は王だった」とか「王の娘だった」というストーリーの嵐の時期、
始めの頃はこれに煽られて焦って何かやらねばと追い詰められていたし、どこの星の誰がこの煽りをやっているのか知らないが自分の能力でこれ以上なにか努力をしたらストレスと過労で本当に死んでしまう、殺すつもりなのかと逆ギレしたこともあったけれど、
DNAの発現のごとく淡々と繰り返されるこの螺旋現象のたびに、深く考えれば考えるほど、その「王」とか「王の娘」とかそれらの立場は、能力として私に合っているのは確かだけれど
だからといって何一つ、特別なことではないことが分かってきたのだった。

もし私がたとえば本当は「創造主の娘」で「真実の王」だったとしてもそうだとしたらどうなのかというと、その在るべき在り方は今の自分と何一つ変わらなく、
やるべき事は、私は私の能力を使って方法を考えて、皆がそれぞれの立場と能力でできることをやり、いまの歪んだ状態から皆で本来あるべき適材適所の世界を作っていくことで、
王であったり王の娘であったりすることはつまり、今の私と全く変わらないのだ。