つぶやき色々③

今考えていることは、愛は枯渇しないのかという事。
長男の赤ちゃん返りを受けとめたり、
子育ての仕方を、子どもをいかに対等な人格として尊重しながら、先に生きている人間として今あるルールを知らせていきつつ、彼の心身を出来る限り「本人の行う発達」を阻害しないよう配慮すること、や
色々な他者の性質をかんがみて、表面に起きる事象でその存在の良し悪しを判断しないとか、
そういったことは全て愛で行っているわけで、
私は日々かなり大量の愛を使用(消費?放出?)していると思うのだ。
愛で考え愛で動くようになるには自分を限界まで成長させる(させつづける)必要があるわけだけれど、その「愛を出せる状態」になった自分から愛は枯渇しないのか?いまのところしないようだけれどしないとしたらそれは何故なのか。
音速で擬似的にブラックホールを作る実験を読んで音も粒子であることを知った、音が空気を伝わって聞こえるというのは、素粒子が発生してそれが動いていくことなのだ。音が粒子なら愛も粒子である可能性はないのか。思い出すのは映画「風の谷のナウシカ」の中でナウシカのケガや命を、オームから出る金色の粒が治癒・蘇生させる映像である。あの粒を愛と仮定することもできる。
愛で質量を増やすという仮定を成立させるには愛が何らかの形で(たぶん粒子)存在していてその粒子がどこからか移動してくることを考えねばならない。愛の粒子はどこから移動してくるのか。と考えるとそれは宇宙空間のどこかである可能性が一番高く、ブラックホールのジェットやホーキング放射?(これはジェットとは別物なのか?不明。)やホワイトホールのことが頭をよぎり、あとブラックマターか。宇宙空間に質量だけで存在している何か。こうしたものの中に愛も含まれる可能性があり、愛で動ける状態に自分を高めるということは比喩ではなく現実の現象として宇宙とつながる可能性がある、かもしれない。愛で動く時、一種のエネルギーを宇宙空間から得るようなことが起こりそれは粒子を取り込む形をしているかもしれずその現象が増えると地球の質量は増加するということだ。ニコチンだってニコチンパッチで肌から吸収するのだし宇宙からの素粒子は常に降り注いでいる(通り過ぎている)らしいからそれを体内に取り込む現象も、起きないことはないだろう、取り込めるようになるにはおそらく愛で考え愛で動ける人間になるという条件が、私の感覚的にはあるわけだが。以前の自分と比べて、エネルギー的なものをものすごく消費しているが枯渇しない感覚があり、自分が体に取り入れる「目で確認できる物質」や、いわゆるリフレッシュと呼ばれる心を休ませ充足させる行為ではその均衡がとれていないように感じるからだ。聖人的な人物が必ず体から光を発していたり、未来(次の次元。または、死後の世界)では、光る深海魚的なイメージで色で相手の状態が分かるとかいう話を何度か読んだが、あれらは愛の粒子を体に取り込んでいることが目視可能になるということなのだろうか。ある一つの仮定として。
こうした循環を仮定すると、愛で考え動くことをツラく感じないことが、とてもプラスだと思う。自分に余裕がない時ほど愛で行動することが難しくなるが、その分宇宙から取り込める、宇宙と自分がつながるそのワクワクと、取り込んだ粒子が未来では「見える貯金」のようになることが、愛で動く勇気にもなる。



0才次男、「キャー」と叫ぶ時期が再び始まった。どのように対応するか色々考えているが、「適切な音量で私も一緒に叫ぶ」ことをまず試している。前回のキャー期とは違い息子本人も、叫ぶと注意されることがある、と理解しているのであとはそれが「いつ」で、
(特別な場所以外は、叫ぶこと自体は音量が大きすぎなければ個人の自由なので、)その音量がどれくらいかを知ればよいと思った。
顔をつかむとか眼鏡を取るとか叩く、もそうだが本人が薄々、これはダメなのかな、と思いつつ繰り返していることは、繰り返すことで反応をみて適切なやり方を探っていると考えて、それをどう教えるかの方法を悩み迷っている。


夫(Aタイプ)は育った環境により、「大人社会で良いとされること」以外の行為は全て、ダメと否定する型をコピーしているので、息子の発達に従って新しい行動が発生するたびにダメダメダメを間近で聴き続けるのはなかなかのストレスだが
夫も私の型に移行しようと日々努力してくれているのでこれもまた、お互いに、幸せへの努力をしているんだなという理解と、
慣れ親しんだ型を捨てて私に合わせてくれることに、尊敬と感謝の気持ちだ。
ダメダメダメを毎日聞いてそれに適応していった赤ちゃん期の夫を想像すると、あまりにも けなげで、彼の赤ちゃん期の分も含める気持ちで息子に丁寧に接してあげたいと思う。



メディアでオリンピック関連の放送増加。政府またはオリンピック委員会から打診があったのかな。主人は態度の変わりっぷりに「げんきんだ」と言っていてまあ確かにそうなのだがそうした中でも一生懸命、私がお願いしてきた内容をベースに番組構成しコメントでも強調しようと努力してくれているのが嬉しかった。

(「今回のオリンピックは、感染に注意した開催でなければならない」ことを、たびたびアナウンスする、またはテロップで画面上に出しておくなどすると、
見ている側も、「開催する以上は盛り上げねばならないが感染拡大には十分注意せねばならない」という事情を一つの画面で理解できるので、
手のひら返し感はあまり感じなくなります。)