Cタイプがどのように他タイプを好きになるか。

車線変更違反で夫が警察に止められた。
夫は警察が大嫌いなので警察と絡むとチンピラ化してしまうのである。
私と一緒にいる時はチンピラ度を抑えてくれるが、それでもかなりイライラした感じになっていて、作業中の警官に「遅い」と噛みついたり、最後には何やら捨て台詞のようなものを吐いて、発進したのだった。

何度も書いてきたが私はそういうやり取りが嫌いなので、もちろん、こういう人を単純なルートでは好きにはならないのだが、それがどうやって「好き」に転換されていくかというと



夫はAタイプなので彼の言動はだいたい全てが、どこかで誰かがやっていたのを見聞きしてコピーしたものである。
私自身は、(たとえ警察の取り締まりシステム自体が、いちいち国民の神経を逆なでするような変なシステムで、もっと親切で効果的な事故防止策を考えるべきであると常々思っているとしても)、このような往生際の悪いイチャモンや、八つ当たりもしくは負け惜しみのような捨て台詞を吐くことは、自分の精神レベルが低いのを自ら露呈しているようで、恥ずかしくてとても出来ない事なのだが、
万が一私がこのような醜態を人前でさらしたとしても、Aタイプの彼は、それを「恥ずかしい奴だ」と軽蔑もせず、「自分も同じになる」という形で、最大限の承認をしてくれるのである。
なんと温かい愛なのだろう。本人が愛だと思ってやっているかは分からないが、常に自信のなさにさいなまれているCタイプからするとこの「君は変ではないよ。僕も同じになってあげる。」という行為は、自分の人生をかけた捨て身の愛に感じるのだ。

こんな風に捨て身で他人を愛せる彼を心から尊敬し、
今現在も、慣れ親しんだ型から私の型に変更を続けてくれる彼の愛に(本人が愛だと思ってやっているかは分からないが)感謝感謝なのである。

相変わらず、正確に書くと皮肉のようになってしまうが本当にこう思って感激するのである。



Aが本能で行う、この「愛の行為(本人が愛だと思ってやっているかは分からない)」がCにとって感動的なのは確かだが
Aがコピーして再現しているその型が、「地球運営に対して愛か害か」はまた別問題であり、害になっていたら何らかの形で改善せねばならないのである。
上記のような思考回路でAに対して愛情を持ち、「愛おしいAの人々がこの本能で生きても地球の害にならず、きちんと愛になる」ようにシステムや配置を考える事、Aに限らず全タイプについてそれを行うのが、Cの特技なのである。