ホンダのお店で助けてくれた人 ~純粋な気持ちの注意~

ホンダのお店に行った時、
入り口の自動ドアの近くで息子と外を見ていたのだが

自動ドアが開き、すき間に息子の手がはさまりそうになった。

その時、ドアを通ろうとしていた人が「危ない!」と言って息子の手をガードしてくれて、


その時の、その「危ない!」には、

「危ないだろ!何をやってるんだ!」とか
「そんな場所に立ってるんじゃないよ!」とかの、私と息子を責めるニュアンスは全く入っていなくて

ただ純粋に、息子の手を守ろうと、その気持ちだけの「危ない!」だったので
心から、ありがたかったのだ。
心配してくれた気持ちがとても嬉しかった。



危険を知らせる時に、相手を責めるニュアンスを入れてしまうと、相手に届く力が薄れるんだなと思った。
子育てでも、それを感じる。




最近、息子がハイハイでベランダに出るようになり、エアコン室外機のファンが危ないので、そこに手を伸ばした時だけ「危ないよ」と声をかけている。

息子には、出来る限り、好きなように動き、好きなように物をさわってほしいと思っているから、
本当に危ない時しか、危ないと言って制止することはなく、
また、それは私自身が、息子が自由に動けるようにそうしているわけだから、「何してるんだ!」みたいな責めるニュアンスも、もちろん含まない。
純粋に、息子の安全だけを考えた「危ないよ」なのである。


赤ちゃんでも、ニュアンスの違いは感じるのだ、
息子のなかで、日に日に、夫の言う「ダメ!」への不信感が強まっている。

夫の「ダメ!」の中には、
息子を守る気持ちだけでなく、
自分が迷惑だとか、面倒くさいとか、お前は悪い子だという決めつけとか、
なんか色々、不純なものが入っているからである。



私も一人目育児では不純な「ダメ!」を言っていたけれど
今は、
きちんと、息子のことを考えて注意している自分を実感でき、その成長がとても嬉しい。



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夫のダメ!をどうするかは、


夫はAタイプなので、
不純な心理を本人が持っているわけではなく、「不純な心理を含み不純なタイミングで発音された「ダメ!」を完全コピーしている」だけなので、

新しい見本の私を見ることでそのうち変化するだろう、と思っているのと

不純なダメ!を知っておくのも、ひとつの社会勉強だと思っている。

幼稚園や学校に通うようになると、不純なダメ!を言う大人にたくさん出会うので、


本物の「危ないよ」と不純な「ダメ!」を見比べておくことで
その「ダメ!」の内訳が、実際は何と何なのかを、見極める力になると思う。