家族1妻が、(彼女の口癖をそのまま使わせてもらうと)、まじやばい。そして、そこから何の学びを得るか。

愛が足りていない人の典型的な、
「もらうことに敏感だが与えられない人間」。
親切は、自分が愛を得たい時に代償として払うもの、という感覚。
つまり「◯◯をするから私を好きになってほしい」という気持ちで親切をするので、その親切自体が重い。
その親切に対して「ありがとう」と感謝したらその分、すがりつかれる感覚がある。
対等な大人どうしの「親切と感謝」が成立しない。

他人との距離感が、おかしい。
気を許したらどこまでも依存されそうである。家族2がその泥沼にハマっているが、
私は回避のために四苦八苦している。

家族1夫が、妻と私を仲良くさせようとしきりに色々、「一緒に◯◯をしろ」攻撃をしてくるので
強引なそれを防ぐために、家族1夫を「私の嫌いな人」として設定することにする。
えらそうに振る舞う人間は確かにあまり好きではないが現実に家族1夫をそこまで嫌いなわけでもないのだが、
距離感がおかしい妻の価値観を、Aの強引さで私に押し付けてくるので、
拒否を、相手が気付くように、匂わせることにしたのだ。

妻本人ではなく夫を対象にするのは、妻のメンタルが危ないからである。
自分の距離感がおかしいことを分かっていないので、私が「境界を超えた依存」を拒否しているだけで本人を嫌っているわけではないことも
本人は「嫌われたのではないか」という想像しかできないだろうし、その後の自暴自棄が子どもに向かうことが容易に想像できるのでそれは避けたいのである。

彼女自身がまだまだ幼児なのである。肉体的には2児の母親なのだが。
夫&家族2は彼女の依存を受けとめる能力はあるが成長を促す能力を持たない。ひたすら同化をするのみである。
どうしたものか困ったものだが、私の行う本能的な拒否により、愛は依存ではないことを体感で知っていくしかないだろう、今のところ。


(私の長男の愛着障害では、彼の自立を考えて「依存されすぎないよう対処した時期」を経て、今は「私が負担にならない範囲で出来る限り愛情を与える(私が与えたい愛ではなく彼が望む愛を与える)やり方」に変わったので、今回もそうなる可能性も、無くはない。
彼女の場合、私が個人的にそうしなければならない義務は特にないのだが、嗅覚というか本能というかそういう第六感で、愛をたくさん持っている人間を嗅ぎ分けて寄りかかっているのだろうと感じるし、
愛に余裕が有るなら与えるべきだろう、とも感じるからだ。)


家族1に対する不快感の正体もだんだん見えてきた。病的な依存と、高圧的な態度を同時に出しているので、
子どもに対する態度も含めて全体的に特権濫用のような感じ、があるのだ。



心理学的にいえば、「私が自分にそれを禁止しているから彼らのそれが不快」なのである。

特権を持つものがそれを濫用して我が物顔に振る舞っていたら地球は滅びるしかないのである。私からしたら、権力者の特権濫用はあり得ない態度なのである。
自分の禁止を解けば不快感が消えると分かっていても解きようがないことなのである。
唯一、道があるとすれば
濫用の方向を、私の思う「世界の幸せ」に向けて濫用すること、である。つまり私が思う理想の未来を、特権濫用しまくってやりまくるということなのである。

自分のカラを破るミッションが次々に起きていると感じるのである。