「マジヤバイ」について思うこと

まったくそういうつもりはなかったのだが
同様の口調で話す人たちを直撃してしまったことについて、色々考えていた。


話し方が良いとかいけないとかそういうことよりも、テレビ界に言えることは
「面白い一部分を切り取ってひたすら視聴率を稼いだ後に人間をポイ捨てするシステム」に大問題があるということだろう。
変な言葉使いに限らず、極端な言動をことさらに強調する流れがあるのは、このシステムが存在するせいである。


このシステムは、視聴する側からすると、
何でもいいから客ウケすればそれで儲けられるという悪質な現実を、人を替えネタを替えひたすら見せられて、
その概念がサブリミナル効果的にすり込まれ、社会の質を下げられている状態である。


現実にその人物らと付き合いのある人間からみれば、変なことをやっていても本当はいい奴だとか、実は苦労してるとか、良い面も分かるのだろう、
しかし「本当はいい奴」であるのならそれが誰にでもはっきり分かるように、放送番組を構成すべきなのである。
「変なのは一部分だけで、本当はTPOをわきまえており、思いやりがあったり真面目だったりするのだ」という人間としての全体を見せるべきなのである。
なぜなら切り取られた一部分からそれを想像できるタイプは限られており、
善悪の判断が出来ず見聞きしたものに素直に同調するタイプがいるからである。

「部分的にも変だが全体的にも変だ」、という人物を使うのなら、その変な部分をひたすら使って視聴率を稼ぎまくってあとはポイ捨てではなく
人間というものを分かっている先輩たちがその人物の人間性も高めてあげるべきだろう。
ポイ捨てではなく人間として育ててあげるべきである。
「視聴率が取れればそれでいいから面白いとこだけ散々流して視聴率だけ取ろう」という愛の無い経営方針から、人を大事に育てて全体を通して素敵なものを作っていくという、
業界の在り方を愛の方向に変えていくべきだということである。




もともとの話題である「家族1・2と私」に関しても言えることだが

全体の流れが「愛の無い状態」で、
その中で、個人や少数が、単独で誰かを愛で支えようとするのは、あまりにも負担がかかりすぎるのである。
下手すると助けようとした側も共倒れするのである。

よって、発言権をもつ人々を中心に、
業界全体で、そうした動きを作ろうと、努力してほしいのである。